西池袋の戦後復興

 

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新中山道
(写真:上)


 人が歩く道であった街道も、近代化の歩みを進める日本にとって、自動車道としての整備は必要不可欠であり、戦後復興の波の中整備されていった。
 ※中山道…江戸時代の五街道の一つ。中仙道とも表記される。江戸日本橋から出発し、近江国草津宿(滋賀県草津市) で東海道に合流し京都三条大橋に至る。ほぼ現在の国道19号線である。JR中央西線が併走する。

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明治通り
(写真:下)

 明治通りは、東京都江東区夢の島から、墨田区・大東区・荒川区・北区・豊島区・新宿区・渋谷区を経由して港区南麻布2丁目に至る通 称である。
 昭和2年(1927)の都市計画に基づき、東京初の環状道路となる環状5号線として整備された。

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王子電車線路(明治通りを建設中)

 ※王子電車…現在の都電荒川線の前身。
 王子電軌道(株)の王子電車(通称王電)をルーツとする。
 明治44年(1911)8月20日大塚〜飛鳥山間約2km開通。

 大正2年(1913)三ノ輪橋〜飛鳥山下(現在の栄町)間に開通。
 大正14年(1925) 大塚〜鬼子母神間と路線延長。
 昭和5年(1930)早稲田まで開通してほぼ現在の形になった。
 戦時下の昭和17年(1942)王電が東京市に譲渡される。翌年都制施行で名称も市電から都電に変わった。
 陸上交通の要だった都電は、戦後の自動車の増大につれて次第に路面 運行が困難となり、昭和40年代には次々と姿を消していった。荒川線は路線のほとんどが一般 道路を走行しない専用軌道であったため、今日まで続いている。
 現在は早稲田〜三ノ輪橋間30駅、延長12.2km、所要時間約48分で運転している。王電時代、御会式などの日は、鬼子母神前駅と雑司ヶ谷駅の間にもう一つ臨時の停車場が設けられた。
  こまめに沿線をカバーしてくれるのが喜ばれ、現在でも利用者が絶えない。


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東上鉄道記念碑

 大正8年(1919)に建てられた東上鉄道の開通記念碑で、池袋東部デパートの南側(目白より)ある。
 ※東上鉄道…東京から埼玉・群馬を経由して新潟まで至る計画で創設された。
 大正3年(1914)5月に、池袋〜田面沢(現在の川越市の先、入間川の辺り)間で運転が始まる。
 大正9年(1920)に、当時社長が一緒だった(根津嘉一郎氏)東武鉄道と合併し、東武東上線となった。今では考えられないが、昔は私鉄の買収や合併は結構多かったようである。
 東武東上線は現在、池袋〜埼玉県の寄居間の全長75kmを結び、東京北西圏郊外から東京都内へ向けての通 勤鉄道として多くの人々に利用されている。

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