西池袋の戦後復興

 

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昭和初期の池袋西口

 写真の突き当たりが豊島師範。 道幅も狭く、まだ舗装されてはいなかった。 当時、駅前には人力車が客を待っていた。
 ※豊島師範学校…明治41年(1908)に坪1円ほどで15,000坪が買収される。 翌明治42年9月、府立豊島師範学校(後の東京学芸大学)開設。


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昭和初期の池袋駅

 池袋の東口の駅舎。 駅前の乗合自動車は王子電車経営のものである。

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建ち並ぶ飲食店

 戦後、池袋の東西に飲食店が建ち並んだ。
写真は池袋駅西口の様子。
正面には東横デパートが見える。昭和30年代初めの頃のもの。
  ※東横デパート…現在の東武デパート。


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戦後の池袋駅(西口)

 戦災で駅舎が焼失。応急のバラックが建てられたが、これは昭和21年当時の池袋駅西口の様子。
買い出しのためにリュックを背負っている。
 ※池袋ヤミ市…ヤミ市とは、統制対象の商品をヤミ取引で商うことに由来する。店舗は、バラック建てで長屋式の連鎖商店街や、中にはゴザを引いただけの粗末なものもあった。
昭和22年(1947)6月の辞典で13箇所の連鎖商店街、店舗数は実に1200軒以上も存在していた。
 これだけ池袋に集中したのは、山手線が通 り、赤羽線・武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)・東武東上線の終点でもあり、交通 の要として多くの人々が集まったからである。
 このヤミ市では、その多くが酒や食料品を取り扱い、その他に衣料や家庭用品なども扱う店舗もあった。
ヤミ市で取り引きされる値段は通常価格の何倍・何十倍・時には何百倍という値段で売られていた。それにも関わらず、敗戦後の公的な配給物だけでは生活を維持することができない窮乏生活の時代に、唯一書苦慮品や生活必需品を供給できる場として、ヤミ市は当時の人々の生活に活力をあたえ、戦後経済復興の出発点ともなった。
 そうしたヤミ市も、復興が本格化すると区画整理の対象となり、池袋駅東口では昭和24年(1949)から徐々に撤去され始め、昭和26年(1951)には姿を消してしまった。一方で、豊島師範学校の大きな焼け跡につくられた西口の大きなヤミ市は次第にその規模が狭められたが、昭和36年(1961)まで姿をとどめていた。

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